図案師

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2005年12月

先月、石川さゆりさんについてふれたので。大晦日は“天城越え”を期待しながら家でまったり紅白を観る、コレにします。ちなみに“石川さゆり 紅白”でインターネット検索してみてください。面白いことがたくさんありますよ。特に天城越えは伝説ですね。



で、やりましたよ神々しい天城越え。

そのあまりにも鬼気迫るステージは他の出演者たちを呪い殺すか、まるでステージに妖怪が現れたかのような違和感がありました。例の司会者なんかはコメントに困ってて、「すごいですね」しか言えてませんでしたからね。歌自体は紅白バージョンのショートで、1番・2番の構成。あの調子で通常版を唄ったら倒れるんじゃないかな。

「山が燃える〜」のところは例のごとくステージ全体がどーんと赤くなり。そして右を振り向き「ァまぎぃ〜ごぉ〜ぉおえぇ〜・・・」と歌い終ったあとの儀式。遠くの何かを掴むように正面へ左手を伸ばしながらぐわっと睨み付け、一度ガクッと力尽きるが目線はそのままカメラの後方300mあたりを追って、その後腕を垂らしさらにゆらりと2段でよろける。完璧にキマッた。

おもわずヨダレが…




2005年11月

なんとなく演歌を聴くんですよね、11月って。やっぱ石川さゆりさんでしょうか。この人の歌声を聴くと心が濡れてしっとりしますね。“飢餓海峡”とか“北の女房”とか、艶っぽくていい…。心の臓に鳥肌立つような感じ。なかでも“天城越え”は危ない。これを目の前でズバテンで歌われたら、一発で墜ちる。

コーラ飲むとその瞬間にしゃっくりが出るんですよ。何年か前からコーラの飲み方がヘタになった。こんなにー好きなのに、つれないなぁ。

そういえば最近、酒のクセが変わったぁ。
まず『酔う』。これはひどいです。今まで数年間全く動かなかったメータが稼動し始めたんですね。きちんと千鳥足になってよろけて倒れる。この間夜中に、山手通りの歩道の植込みによろけて突っ込んで、しばらくそのまま横たわって煙草吸ってた。

それから『帰ろうを言う』。自分から絶対に絶対に「そろそろ…」とか「もう良い時間だ」なんて言ったことがないのに、3夜連続で発しました。最悪だったのは、ビールをコップ半分呑んだだけで「ごめん…。今日帰って良い?」とキリだしたのですね。

そして『酔っぱらうと舌を出す』。自分では気が付いていないんだけど、ウチのヤツに言われました。「ほら、そろそろあぶないよコレ。」とか言われてみんなにバカにされるんです。

変われば変わるもんだ。あんなに酔わなかったのに。エンドレスで一升瓶抱えて呑んでたのに。寂しいですね。ちょっと休もうかなぁ…。よしっ、12月は仕事しない!そんで伊豆行く! ♪浄蓮の滝〜

(関係者の皆様。もしホントにいなくなったりしても、探さないでください。ご迷惑かけないようにしますから…)




2005年10月

何かがざわめく胸騒ぎを感じていて、この冬の空がそうさせてるんでしょうね…

って。そういう発想が更年期のようで極めて年寄り臭い。体内暦が人と比べて1.5〜2倍の早さで進んでいるようです。

昨日「京都〜」というフレーズを耳にして、封印していたものが解けはじめたような、してないような。精神的に不安定な時期をむかえています。

そこで、昔の写真をひっくり返していたら 衝撃の写真が! (※心臓の弱い方、または食事中の方はクリックしないでください)私が高校生の時の仮装行列の写真なんですが、裸(もちろん前張り)で犬のぬいぐるみを喰いちぎっている様子。写真左の地面に這いつくばってるのが高校時代の私。当時の同級生はこの話をまるでタブーかのごとく口にしない。

このパフォーマンスの直後に控所で反省会&身仕度を整えていた時のこと。名前も知らない後輩が目をウルウルさせながら駆け寄ってきて、「せ、先輩…。あのぉ…カ、カッコよかったです。もしかして劇団の方ですか?」と言われたのを覚えている、もちろん男子校。

あぁ、ざわめくざわめく…。




2005年9月

今、強烈な勢いで人との出会いを迎えている。3週間で35人くらい。

中でも印象的なのは、とある恩人から2段階で紹介していただいたデザイナーさん。会った瞬間にいや正確には会う前から自分と同じフォースを感じていて面倒な前置き無しにそして申し訳ないと思いつつもいきなり結論から話してわずか15分くらい“ぐぁきぃ〜っん!”みたいなフォースのやり取りで久々に楽にコミュニケーションのできる人と出会った。

ちなみに今月のパーティは「秋刀魚」をやった。翌週、月曜の朝会社に行くと、パーティに来れなかった友達からメールが。「土曜日友達から“今、秋刀魚食べてる”ってメールを別の友達経由でもらって、秋刀魚といえば…と思って返したら実はそこ、リョウんちだった…」とか。

かと思いきや、日曜日の夜に知人がウチの店に来てくれてたんで、ご挨拶がてら行ったら一緒にワイワイやることになって。そこで紹介されたデザイナーさんが、実は次の日私がプレゼンに行くクライアントだったり。

説明している自分でも、この磁場の歪みをどう説明したらイイのかサッパリ解らない。




2005年8月

今月の我が家のパーティでは“怪談ナイト”と題して稲川淳司の怪談ビデオを観る会をやったんですが。

これがまたなんというか、ひとつの古典ですね。話自体は怖いというか、語りが延々と続くだけで恐怖は無いんですよ。

ただ、観てるとウトウト…と、20人くらい沈没してました。そのあとの各人の怪談話のほうが盛り上がったかな。

私は霊と全く縁がないんです。見ないし感じないから、霊の存在なんかあり得ないと思ってます。超状現象より生身の人間、ヒトですね。これが怖い。

夜中に家に帰って凶器を持ったヒトがいたり、パッと目が醒めて窓から誰かが覗いていたりしたら、とか足が竦みますよね。

その次にイヤなのが虫。ゴキブリとか、もぉ〜最悪!!

こう考えると霊を怖がるより、私のほうがよっぽどビビりかもしれません。




2005年7月

ちょっと書かせてもらいますよ。すっっっ...ごいユニットをウェブで見つけてしまいました。でも、詳しいことはシークレットにしておきます。意地悪ですね(笑)いや〜、もったいなくて人に教えたくないくらいハマっちゃったんです。私は“No Music, No Life”人です。見つけたんですよ、強烈にキテるミュージシャンを。それも日本人。しかもHipHop。そのうち紹介しますね。

私は日本語Rapが最悪大嫌いなんです。口語を理解していない頭の悪いのが、下手なRapをB系への憧れだけでやるわけですよ、どいつもこいつも。なんだか意味のわからない言葉の組み合あわせだけで、言いたいことが喋れていない。聴いてるほうが恥ずかしくなる、そんなのばっかりですよね。音楽を好んで聴かない人でもそう思うはずです。と・こ・ろ・が!あのですね、日本語だってこの独特な撥音と文法が上手にRapできたらハマるんですよ。

数年前、趣味で日本の古典的な文化とHipHopを映像で融合させたことがあるんですけど、コレ意外とハマるんですよ。例えば相撲。立ち合いの瞬間、巨体がドスンとぶつかり合うパワー。あと僧侶。静寂と緊張感、そのシワが語る人の生き方。

日本の“静と動”の表現にHipHopはきれいにキマるんです。日本の神仏は恐ろしいのが多いです。阿修羅、金剛、明王。これら“動”の神仏は釈迦、阿弥陀、観音など“静”の神仏の裏なんですよね。で、HipHopのリズムも表と裏があって“ズッ・ドン ズッ・ドン(動く・止まる 動く・止まる)”。これが意外にお囃子に合ったり、和太鼓や木魚、鈴の音がハマったりするんですよ。

日本語とRapがキレイにハマると凄いですよ。彼らはそういうのを見事にやってのけているんですよ。1日中24時間連続ループ!心地良いRapで、スバンっとメッセージが届く。怒りは怒り、ストレートなパワー、そしてカッコよくふざける。ホント上手いですよ彼ら。(ホメ過ぎ)




2005年6月

6日に伯父が他界しました。

通夜・告別式に参列して最期の別れをしてきました。身内の葬儀はもう何度も経験しているのですが、いつのときも告別式は嫌なもんです。顔を見る最期チャンスでしょ。

私が最も辛く感じるのは、遺族が故人を見つめるその顔の表情。遺族の故人に対する様々な思いがその数分に凝縮されているようで。

伯父が2ヶ月前に倒れて以来、もう元の様には戻らないと思ったし、その覚悟はできていた。それでさえ父の表情なんかを見てると辛くて、思わずこみ上げてくるものが。でも、そのとき思った。

これがもし自分が毎日一緒にいるファミリアの場合だったら、たぶん感情を抑えられないと。周囲のことなど構わず崩れていくんだろうな。




2005年5月

私と同居しているその男。名前をイサムっていうんだけど、元ラガーマンなだけあって身体がデカイ。

背中にチャックがあってそこから中に入れるくらいデカイ。男2人の生活も半年経ったんだけど、特にこれと言って支障もなくやってこれた。この分だとあと数十年はこのままいけるかも。

よく言われるんだけど、うまくやっていける秘訣ってなに?って。

追っかけないことかな。もちろん愛情はお互いにあるんだけど、通常のそれとは違くて家族と同じじゃないかな。こうして欲しいとか、これは嫌だとか、そんなこと一度も思ったことない。

人って裏切られるのが怖いから、相手に負担をかけたり自分が譲歩したり、そういう歪みが生じるんだと思う。

またこんなこと書くと誤解されるから。私もイサムも女大好きですから。




2005年4月

BDを迎える度に「おめでとう」だとか「今年で◯◯だね」って言われるでしょ。そう言われても返す言葉がないってーの。

でも今年はね「いつもありがとう」的なお祝いをされて、シミジミしたなぁ。

ところが次の日、4月6日に父親の兄が脳硬塞で倒れたんですよ。ある日突然来るんですよね、そういうのって。

これを書いているのは月末なんだけど、いまだに頭は開いたままで予断を許さない状態。本人の時間は倒れた朝、トイレに行っていたときのまま止まっちまってるんでしょうね。

従兄夫婦とその子供たちと一緒に住んでたからあれだけど、もし独りだったらって考えると可哀想の極みですね。

幸せな生き方って大切に思ってくれる人たちに囲まれてることだなって思いました。




2005年3月

今月、弊社直営のイタリアン『CENTO ANNI』が渋谷・南平台にオープンしました。3/19〜21の3日間、盛大にオープニング・パーティを開催し、たくさんのお客さまに来ていただきました。ホントに嬉しかったです。この場を借りて、改めて感謝いたします。ありがとうございます。

さて、いろいろ開店秘話があるんですが。「なんでイタリンなの?」っていう声が多かったです。単に“無かったから”って言ってます。

飲んべえの自分が夜を徘徊してて、心地良いイタリアンが無かったんですよ。まぁまぁ、他にもたくさん理由はあるんですけど、一度開けたら止められないのが飲食店。

店長のヤスを始めスタッフが元気者揃いなので、末永くみなさまに愛していただけるよう、がんばろう…。




2005年2月

パワーストーンって流行ってんですかね?

家のパーティに来る人で腕に石のブレスレットしている人が多くて。そういう自分も去年の年末に私のファミリアの姐さんに作ってもらったのが2つあるんですけど。

気のせいか、何だか効いてるような感じが。いや、こんな性格だから迷信とか、お護りとか全く興味ないし信じない人間で。

けど、姐さんが私のために作ってくれたもんで付けてるんですが。このパワーストーンをしてから少しずつ運気が変わってきているような気が。

…っていう自己暗示をかけています。




2005年1月

昨年の年末、いわば先月ですが。突然引越をしました。

前の自宅が嫌な理由はなかったでんですが。思い立ったが吉日というか、いろいろ考えてても人生前に進まないし。

学生時代からの友人が、とてつもなく面白い物件を探してきたもんだから。即日、彼と同居することを決めたんです。

ところがお互いに大酒飲みで宴が大好きで。この間の連休に延べ70人を超える仲間が集まったんです。瞬間最大人数は40人くらいだったでしょうか、測定不能。だってオレんちですよ、人家。

週末には近くに住んでる呑助と「鍋でもやろーよ」って朝まで飲んでて。

でもこんな生活も悪くない。人が集まるところには力が集まる、って考えれば恵まれていると思えますね。

www.ryogawa.jp